

「葬送のフリーレン」第二期の第一話を見て
物語として大きく何かが動いたわけではない。 けれど、フリーレンらしく、優しさに溢れたものでした。 人は、失ってから気づくことがあると言います。 一緒にいた時間の意味や、交わした言葉の重さ、 そして「当たり前」だと思っていた日常について。 フリーレンは、感情を大きく語りません。 淡々としていて、どこか距離がある。 でもその分、こちらが味合う余白がある。 忙しい毎日に、深く考えずに過ごしてきた時間。 そのときは気づかないけれど、後になって 「あの時ああすればよかったな、」と思うことがある。 この物語は 「もっと大切にしなさい」とは言わない。 「後悔するぞ」とも言いません。 ただ、 時間は一方通行で、 人の心は思ったよりも遅れて成長する、 その事実を、教えてくれると思います。 だからこそ、 今、誰と話しているのか。 今、どんな時間を過ごしているのか。 それを少しだけ、丁寧に扱いたくなります。 派手さはありません。 でも、観終わったあとに残る余韻が長い。 この先もきっと、 何かを「教える」のではなく、 しみじみ気づかせてく
2月13日
その報告がそのまま判断に使えるか問題
部下からの報告に対して、 リーダーが質問を挟む場面は少なくありません。 なぜ質問をするかと言うと、報告の内容だけでは判断に必要な情報が足りないことがあるからです。 多くの場合、報告には 事実と、解釈や推測が混ざっています。 本人は整理して話しているつもりでも、 聞き手から見ると区別がつきにくいことがあります。 人は誰でも、自分の理解や経験をもとに 物事を解釈します。 そのため、解釈が事実のように語られてしまうことは 決して珍しくありません。 リーダーの立場では、 その情報を前提に意思決定を行う必要があります。 だからこそ、 「それは実際に確認した事実なのか」 「どこまでが推測なのか」 を質問で確認する必要が出てきます。 私は日ごろから、それは事実ですか憶測ですかと質問するようにしています。 事実と推測が整理された報告が増えてくると、 自然と質問は減っていきます。 質問が減ることは、 報告の質が高まってきた一つの目安だと 私は考えています。
2月13日


「悲しみの秘儀」を読んで
この本を読んで、私が一番はっきり理解したことがあります。 それは、悲しみは、解決するものではないということです。 私たちは、つらい出来事があると、 「どう意味づけるか」 「どう前向きになるか」 を考えがちです。 私自身も、そうやって物事を処理してきました。 しかし『悲しみの秘儀』は、違う立場を取ります。 悲しみは、考えて整理する対象ではなく、 一度、そのまま引き受ける体験だと書かれています。 本の中に、印象に残った一節があります。 人は、真に他者とつながるために、一度は「一人であること」を引き受けなければならない。 これは、「人は孤独でいろ」という話ではありません。 誰かに分かってもらおうと急ぐ前に、 自分の中に起きている感情から逃げないこと。 その姿勢がなければ、他人との関係も表面的なものになる、 私はそう受け取りました。 人は、すべてを分かり合うことはできません。 それでも、短い時間でも 「この人とは、確かにつながった」 と感じる瞬間があります。 その感覚は、 正論を並べたときや、 問題をうまく解決したときではなく
2月13日
