多く語ることのデメリット
人は、言葉が多いほど、自分で考える場所が小さくなります。 たとえば、 「大変でしたね。でも頑張ってますよね。無理しないでくださいね」 これは優しい言葉ですが、 受け取る側は考える余地がありません。 「大変な日ですね」 この一言だけだと、 相手の中で意味が広がります。 心理学では、 自分で意味づけした情報ほど記憶に残りやすいことが知られています。 「自己生成効果」と呼ばれる現象です。 説明されすぎた言葉は、その場では理解できます。 でも、あとに残りにくい。 一方で、余白のある言葉は、 あとから何度も思い出される可能性がある。 人との関わりも、同じかもしれません。 全部わかろうとしない。 変えようとしない。 少し余白を残す。 多く語らないことも、 ひとつの関わり方なのだと思っています。
3月4日


ライオンのおやつ 小川糸 著を読んで
読みながら、何度も考えました。 これは納得なのか、それとも諦めなのか、と。 人生の終わりが近づいた人たちが、 過去を振り返りながら、 誰かが用意したおやつを口にする。 とても穏やかで、優しい空気の物語です。 だからこそ、ふと思いました。 もし、まだ選び直せる時間があったらどうするだろう、と。 この本は、 「ここで一区切りつけてもいい」と思いたい人の心に、 静かに寄り添う物語だと感じました。 それは弱さではなく、 人生のある段階では必要な視点なのだと思います。 ただ私は、もう一つの問いも残りました。 受け入れることは大切だけれど、 受け入れる前に、 まだ選べたことはなかったのか。 まだ伝えられた言葉はなかったのか。 この物語は、 「これでよかった」と思える人を、そっと肯定してくれる。 そして同時に、 今を生きている側に、小さな問いを残す本でした。
2月25日
責任を持ってもらうには?
「もっと責任を持ってほしい」 これは、よく部下に期待することの一つ部はないでしょうか。 ただ、責任は 「持て」と言われて持てるものではありません。 では、どうすると責任が生まれるのか。 私は、言葉の曖昧さに、そのまま通さずに関わることだと思っています。 たとえば、 「◯◯だと思います」 と言われたとき。 ここで結論を急がない。 評価もしない。 ただ、こう聞く。 「(思うとは)具体的にどういうこと?」 「多分、大丈夫です」 と言われたら、 「(多分って)どこまで確認できてる?」 曖昧、憶測、事実、自分の考えを 区別するトレーニングを意図しています。 曖昧な言葉のまま進むと、 結果が悪かったとき、責任は宙に浮きます。 「そういうつもりじゃなかった」 「そこまでとは思っていなかった」 でも、 言葉を具体にしていくと、状況は変わります。 ・何を見て判断したのか ・どこまで確認したのか ・どこは推測なのか これが整理されると、 判断が「自分のもの」になっていきます。 だから私は、 指示を増やすより、 問いを一つ足します。 「そ
2月20日
