“それ違うよ”をやめたら 部下が自分から動き出した
「それ違うよ。こうして」という指摘は、一見わかりやすいですが、相手は、怒られた、となりあまりこちらの話が入らなくなります。 このことについては、相手からの言葉がガードを上げさせ(自己防衛を呼び)学習効果を下げることがあるという研究結果があります。 一方で、「こういうふうにやってくれたら助かる」と“望む姿”を伝える言い方は、本人が次の行動イメージしやすく、相手の自ら行う力を高めるほうに働きます。 行動の具体的な期待を明確にすると、パフォーマンスが改善しやすいという結果は、組織心理の研究でも繰り返し示されています。 だから私は、「これは違う」とはあまり言わずに、 「自分から報告してくれたら助かるよ」 のように、こちらが望む未来の姿を具体的に伝えます。 もう一つ意識しているのは、「どうすればその姿に近づけると思う?」と相手自身に考えてもらうことです。自分で方法を選べる状態は、やらされ感ではなく主体性(自律性)を生み、モチベーションにもつながります。 まとめると: ・間違いを刺す言葉は人を守りに入らせる ・望む姿を共有すると人は前に出
2月13日


「国境の南、太陽の西」(村上春樹)を読んで考えたこと
村上春樹の『国境の南、太陽の西』を読み終えました。 読みながら何度も、「ああ、自分の中にもこういう気持ちがある」と、胸の奥がじんわりした感覚になりました。 この小説は、「はっきり説明できない迷い」や「言葉にしづらい感情」を、見事に言語化してくれています。 きれいごとにせず、正解も提示せず、それでも「たしかに、こういう気持ちで生きてい大人はいる」と認めてくれる。 読んでいて一番救われたのは、 どんな感情を抱いても、それをすぐに「良い」「悪い」と裁かない視点です。 嫉妬、後悔、諦めきれない思い、過去への未練。 一般的には「卒業すべき」と言われそうな感情も、この物語の中では「そう感じてしまう自分も、たしかに生きている」として扱われています。 私は普段、「こうあるべき」「こう振る舞うべき」と自分を縛りがちです。 けれどこの小説を読んで、 迷っている自分、弱い自分、割り切れない自分も含めて、「それでも自分だ」と認めていくことが、これからのテーマだと感じました。 感情をきれいに片づけるのではなく、 言葉にならないものに、ゆっくりと言葉をあ
2月13日


「騎士団長殺し」(村上春樹)を読んで思うこと
村上春樹さんの『騎士団長殺し』を読みながら、改めて感じたのは―― 人の心というのは、言葉にならない思いや感情が、絶えず流れているということです。 登場人物たちの内面の動きは、非常に細やかで、まるで自分の中にも同じ感情が潜んでいるかのように感じさせます。 「この人はなぜそう感じたのか」「なぜその言葉を選んだのか」――その過程を追っていくうちに、 自分の中にも似たような“言葉にならない感情”がいくつもあることに気づきました。 日々、私たちは仕事や生活の中で多くのことを考え、感じています。 しかし、そのほとんどは言葉になる前に過ぎ去ってしまいます。 『騎士団長殺し』を通して、私は「自分が感じていることを、できる限り言葉にしてみよう」と思うようになりました。 言語化してみると、不思議なことに、自分が何を恐れていたのか、何を望んでいたのかがはっきりしてきます。 同じ出来事を別の角度から見られるようにもなり、自分の内側が少しずつ整理されていく感覚があります。 村上作品の魅力は、結論が与えられないところにもあります。 読み手に解釈を委ねる余白が
2月13日
